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音楽の核心とは何であるのか(清水勇磨さん)2/27

清水 勇磨さん/ Mr. Yuma Shimizu
(専攻楽器声楽/voice)

[ 2021.06.21 ]

ローム ミュージック ファンデーション奨学生の清水勇磨です。

早いもので、貴財団の奨学生としての研修も終わろうとしています。

私にとって一番重要な時期をお支え頂いたように思います。

<ボローニャ歌劇場においてのコンサートの一コマ>

 

 

 

海外研修においてとても重要な事は、絶え間無い練習と音楽への向き合い方も含めた継続性だと思います。

その意味において、海外研修も3年を目前に迎え、その留学生活の始まりから想いを致しますと、様々な財団や機関に隙間無くお支え頂いた事により、技術の習得と発展が可能になったのだと感謝致しております。

日本において特にオペラの分野では、ヨーロッパ人との比較で体格の違いや声質の違いにより、「日本人には難しいのでは無いか」という事を多々耳にします。

しかしながら、舞台発声はいわゆる、勉強の範囲とは全く次元が違う場所にあり、そこを理解し始めると、職業としての歌手は常に準備が出来ていて、高い次元で歌えなくてはならない、という事を肌で感じる事が出来ます。

そこに人種の違いなどという言い訳を外国人である私たちが持ち出そうものなら、「そんなに苦しいなら、辞めればよい」と言われる事は目に見えています。

 

<ボローニャ歌劇場主催、オテッロのリハーサルにおいて(楽屋にて)>

 

<蝶々夫人のリハーサル前に、劇場にて>

 

その意味において、私は恵まれていると申し上げてよいのか、イタリアのロックダウン中に日本での演奏会を終え、数ヵ月ぶりにイタリアに戻ると、待ってましたとばかりに、やれ演奏会だ、オペラだ、と予定を全て押さえられ、ゆっくり空気を吸ってから合流しようとしていた事が幻想であったのだと気づかされました。

日本でのオペラの予定があったので、スケジュールとしては決して長くはないイタリアでの滞在は、滞在期間の全てを研修所、劇場、また別の練習所と、決して行動範囲が広いと言えないボローニャ特有の石畳を緊張感を持ちながら足早に駆け、街を久々にゆっくり見たいという願望を断ち切る様に過ごしました。

その甲斐もあり、様々な実演の場はしっかり乗り切った事を高く評価され、終えました。

日本に帰国後は、イタリアは再ロックダウンになり、研修所の同期、また昨年オペラ界に巣立って行った元同期の歌手達の窮状を電話で聞きながらも、私は日本での事に集中しました。

それは、目の前にある事に集中できないのに演奏家とは言えない、という研修所での教えがあったからでした。

「様々な違いに目を向けるのでは無く、お前は一体何をやりたいんだ」と常に突き付けられ、自問自答してきた自分の苦しい留学期間を思い出すと、この状況下でも一生懸命演唱しようと奮い立たせてくれたように思います。
「苦しい所からしか新しいものは生まれないじゃないか!」と、キャリアの初めにも立てないと電話先で憔悴している様子である声の友人を励ましながらも、自分に言い聞かせる様にオペラの稽古に向かいました。

 

<カウフマンとのマスタークラス後の写真>

 

イタリアにいる期間には色々な共演者とも話しをさせて頂きました。

グレゴリー・クンデは大歌手ですが、丁寧に、また時には厳しく音楽に向かう姿勢には圧倒されました。
また、ヨナス・カウフマンには劇場内でマスタークラスをして頂きました。

レッスンからは、音楽の核に近づきたいと常に熱望しており、音楽に対する真摯な姿勢を感じました。

 

これからいつまでこの状況下が続くか分かりませんが、確かな事は、演奏家の音楽への向き合い方は変わるはずがない、という事です。

幾多の困難も人々は乗り越えて、また、芸術も伝承され続けて来たように思います。

いつの日にか先は開けると信じ、音楽に集中するしか無いのではと思うのです。

 

この一年間大変お世話になりました。

ロームミュージックファンデーション様、また関係者様、皆々様に心から感謝申し上げます。

誠にありがとうございました。