奨学生レポート RMFレポート ミュージックサロン インタビュー

亡命音楽家の研究機関エクシール・アルテ・センター(中村伸子さん)8/3

中村 伸子さん/Ms. Nobuko Nakamura
(専攻楽器音楽学/musicology)

[ 2018.10.5 ]

学校名:ウィーン音楽演劇大学

ローム ミュージック ファンデーション奨学生の中村伸子です。

本投稿では、私が所属しているウィーン音楽演劇大学内の研究機関エクシール・アルテ・センター(exil.arte Zentrum)をご紹介します。

この機関は、2006年に私の指導教授であるゲロルト・グルーバー氏によって非営利団体として創設され、2016年からウィーン音楽演劇大学の一部となりました。

<センターの入っている大学の建物の前で。>

主な活動は、第二次大戦中にナチスの迫害により亡命を余儀なくされたり収容所に送られたりしたオーストリアゆかりの音楽家たちによる失われかけた音楽を呼び覚ますために、分散した楽譜などの資料を集め、新たに研究の俎上に置き、コンサートや録音、本の出版、展示などによって発信していく、というものです。

私が研究対象としているE. W. コルンゴルトもウィーンからハリウッドに亡命したため、センターで扱う主要な作曲家の一人です。

 

エクシール・アルテ・センターのある建物(ロートリンガー通り18番地、ウィーン・コンツェルトハウスの隣り)は、今でこそ大学の数多くある建物の一つに過ぎませんが、100年ほど前はここだけが大学の建物でした。

センター内に昨年オープンした展示スペースには50を超える亡命音楽家の音楽と生涯が紹介されており、そのほとんどの人たちが、まさにこの地で、学生生活を送ったり教鞭を取ったりしたのです。

 

展示のなかに、興味深い表があります。

そこには、1938年のナチス・ドイツのオーストリア併合によりウィーン音楽大学の多くの(主にユダヤ系の)教授・講師陣が職を追われ、それと引き換えに多くの音楽家が新たに雇われたことが記されています。

 

<展示にある音大の教員の雇用期間を示す表。赤い線は迫害された教員、灰色の線は新たに雇われた教員を示します>

 

とりわけ歴史の悲惨さを感じさせられるのは、終戦後、1938年に辞職させられた音楽家は理論的には復職できるはずなのに、1938年に雇われた音楽家たちが居座っているがために戻る場所がないことです。

亡命者たちが戻ってくることを誰も(いたとしても少ししか)望まなかったこと、また、戦後数十年もの間亡命音楽家についての再評価が進まなかった背景が、この年表からよく分かります。

 

音楽資料の発掘、アーカイブ化、研究、コンサートなどでの発信――センターで行っているこれらの活動に携わりながら様々な音楽と音楽家の生涯に触れるうちに、私自身、音楽を政治や世界情勢などと結びつけたり、ナチスの時代の出来事を今の時代と結びつけたりして考えることが増えました。

同時に、単に忘れられているから呼び起こすのではなく、その音楽が魅力的だからこそもう一度音として蘇らせたいという思いも強くなっています。

近い将来、日本でも亡命音楽家を紹介するコンサートなどを企画し、こうしたことを伝えられたらと考えています。

 

ウィーンでの留学生活はこれからも続きますが、一年間ご支援いただいたローム ミュージック ファンデーションの奨学期間は終わります。

研究に集中し様々な知見を得るための素晴らしい機会を与えていただいたことに感謝し、今後はその成果を博士論文としてまとめられるよう一層励みます。ありがとうございました。

 

 


音楽と政治はどうしても切っても切れない関係ですね。

ぜひこれからも広い視野を持って研究を進めてください!