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ドン・ジョヴァンニ考(松島理紗さん)8/4

松島 理紗さん/Ms.Risa MATSUSHIMA
(専攻楽器ソプラノ/soprano)

[ 2021.10.20 ]

学校名:ウィーン市立音楽芸術大学大学院

ローム ミュージック ファンデーション奨学生の松島理紗です。

早いもので2年間の奨学生期間ももうすぐ終わろうとしています。
今年2021年2月末、待ちに待ったウィーンフィル・サマーアカデミー「ドン・ジョヴァンニ」の撮影がグラーツ楽友協会で行われました。

<撮影直前の稽古 1幕アリア ドンナ・アンナ/ドン・オッターヴィオ>

 

映像は8月22日にオーストリア国営放送ORF3にて放送されCDも発売されるほか9月にはグラーツ楽友協会やウィーン・コンツェルトハウスをはじめとする、オーストリア国内をまわるツアー公演が予定されています。

撮影が行われた2月はまだロックダウンが原因でウィーン国立歌劇場が公演を休止していたため、普段は国立歌劇場公演の撮影を担っているトップクラスの映像・録画技師が私達ドン・ジョヴァンニの撮影チームに入ってくださいました。

普段は国立歌劇場の公演が放送されるORF3のゴールデンタイムに私たちの公演が放送されるとは夢のようです。
こちらからドン・ジョヴァンニの予告編がご視聴いただけます。

https://youtu.be/HCp_fLUGElQ

 

<新聞社や放送局の取材用の写真>

 
このオペラがオーストリアでのデビューとなることやコロナの影響で他の本番が無くなったことが理由で、私は昨年7月よりこの作品に全てを懸けて参りました。

ドンナ・アンナというあまりに多様な解釈の存在する複雑な役柄を自分なりに解釈し、演出家のプランとすり合わせていくために非常に多くの文献を研究し、自分の弱点(舞台上での貴族的な振る舞い、存在感、発声、容姿、語学力、自信の無さなど)を克服するべく日々様々な面から努力しました。

国際的なチームに身を置くことで語学の上達はもちろん、毎日稽古を重ねることで舞台での振る舞いや容姿、2時間超の作品を歌い切るための体力向上など、多くの収穫がありました。

そしてそのことが私が最も必要としていた自信に繋がったと思います。

 

<1幕フィナーレの撮影>

 
ドンナ・アンナはこのオペラの中で騎士長やドン・オッターヴィオなどと並んでセリア(真面目な役どころ)の役割を担うため、レチタティーヴォ・セッコ(物語の進行を担う語り歌い)がほとんどありません。

ドンナ・アンナは8人いるこのオペラの登場人物の中で最も歌唱時間が長く、このことはつまり、語り(歌詞)からではなく、音楽から性格や思想、育ち、年齢、宗教観などあらゆる情報が滲み出てこなければならないことを意味しています。

旋律の特徴としては長いブレス、鋭く細い純度の高い高音といったことが挙げられると思います。

ドン・フアン(ドン・ジョヴァンニ)とはもともとスペインに伝わる伝説の男性で、ティルソ・デ・モリーナによって17世紀スペインで初めて戯曲化され、次第にフランス、イタリア、ロシアなどでも多くの作家達によって小説化・戯曲化され(モリエール、E.T.A.ホフマン、プーシキン、トルストイ、ボードレール、ジョルジュ・サンド、メーリケ、アポリネールなど)、また多くの作曲家がそれらをもとにオペラや歌曲、オーケストラ作品などを残しました。

ダ・ポンテ/モーツァルト以前の戯曲・小説にみられる登場人物はどの作品にも概ね共通点が見受けられます(ドン・ジョヴァンニ、レポレッロ、騎士長、オッターヴィオ、エルヴィーラ、ツェルリーナ、マゼット)。

しかしドンナ・アンナの扱いは多種多様で、そのことがこの役の解釈を複雑なものにしています。(ある版ではほとんど存在すらしていない、ある版では父親の反対を押し切って従兄弟の男性と婚約している、ある版ではドン・フアンに父親ではなく夫を殺されるなど)

モーツァルトは初演のドンナ・アンナをつとめた若き大ソプラノ、テレーザ・サポリーニ(プラハ初演当時24歳)のために、もともと戯曲の中ではそれほど重要でなかったドンナ・アンナという役をここまで重要な役(このオペラのプリマ・ドンナ)に押し上げたのだと考えます。

モーツァルトのオペラの中でアンナはもはや単なる騎士長の娘ではなく物語の中心となっており、1幕のアリア前の長大なレチタティーヴォ・アッコンパニャートは物語の全貌を明かす最も大事な場面です。

ソプラノのテレーザ・サポリーニは非常に若くしてすでにヨーロッパ各地で歌い頭角を現していた大スターでした。

彼女のためにドンナ・アンナはより重要に、ドラマチックに、難易度が高められたのです。

ドンナ・アンナの解釈には戯曲や小説からの情報よりもダ・ポンテ/モーツァルト間で交わされた意見のほうが重要だということです。

そして彼らがオペラ制作で大切にしたことは、公演を見た観客が各々の解釈を得られるよう、わざと全てを語らず余白を残すということでした。

そのために今日もなお、ドンナ・アンナという謎多き女性は常に大きなテーマとなっています。

 

<撮影終了後>

 

<チーム全員で記念撮影>

 
ここまで研究し尽くしたことで9月にはやっと自信をもって観客の前で自分なりのドンナ・アンナを演じることができると思います。

コロナで公演が1年延期になったことや、ロックダウンの最中もひとりでウィーンに残ったことで時間を存分に練習や研究に充てることができ、結果として非常に多くのことを得られました。

コロナで本番がバタバタとキャンセルになる中、何の心配もなくこうして勉学に励むことができたのも2年間厚い御支援をいただいたロームミュージックファンデーションの皆様のおかげです。心より感謝申し上げます。
ドイツ語圏の歌劇場でソリストとして自分の得意な現代音楽の分野で活躍していくという夢に向かって、これからも日々邁進して参ります。

そして作曲家に影響を与え歴史に名を残す音楽家にいつか必ずなりたいと思います。

今後とも応援していただければ幸いです。2年間誠に有難うございました。

 

<Junge Philharmonie Wien, Michael Lesskyとの共演でモーツァルトのコンサートアリアを演奏させていただきました>

 

<6月に作曲家ゆかりの地(エアフルト、ワイマール、ツヴィッカウ、ライプツィヒ)を巡るドイツひとり旅を行いました。ライプツィヒ郊外にあるこのGedächtniskirche Schönefeld教会で1840年9月12日にロベルト・シューマンはクララと結婚式を挙げ、この年に多くの歌曲が生まれました。教会内は改装中でしたが特別に見せていただき、特別な体験になりました。>

 

<ワイマールにあるこの家で作家ゲーテは50年以上過ごし、傑作のほとんどがこの仕事部屋で生まれ、本人はこの隣の部屋で亡くなりました。幼きメンデルスゾーンやクララ・シューマンが足を運びゲーテにピアノの腕前を披露したのもこの家だったのです。>