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マスク、そして曇った眼鏡の向こう側で(菅沼起一さん)12/16

菅沼 起一さん/Mr.Kiichi Suganuma
(専攻楽器音楽学/musicology)

[ 2021.02.12 ]

学校名:バーゼル・スコラ・カントルム

ローム・ミュージック・ファンデーション奨学生の菅沼起一です。
日常を取り戻したかのように見えたヨーロッパの夏休みを終え、始まった新年度。

一部の制限はあれど、対面でのレッスンや授業が復活し、新しいシーズンへの期待に胸を膨らませたのも束の間。現実は厳しいものでした。

<閑散とした関西国際空港国際線ターミナル(夏)>

 

 

新型コロナウイルスの再流行が始まった10月頭から、一つ、また一つと学業や生活に関するルール(座学の授業はオンラインに、リサイタル試験などは無観客かつライヴ配信、など)が増えてゆき、気がつけば、閉校こそ避けられたものの、ほとんどの授業がオンラインに逆戻りし、秋冬の様々なイベント、演奏会、カンファレンスが中止、またはライヴ配信、という状況に陥っていました。

冬の寒く暗い天気の中、週替わりで変更されるルールに振り回され、先行きの不透明なまま毎日Zoomのミーティングルームへアクセスする数ヶ月が過ぎ、はや今年が終わろうとしています。

研究専攻として音楽院に在籍していると、「きみは演奏の機会が奪われた演奏家と違い研究が続けられて恵まれている」としばしば言われることがあります。

研究というものは自分一人でも出来るもので、演奏会のように場所や人を必要としない、ということでしょう。

それは半分当たっており、半分適切ではありません。

まず、私のように過去の資料・文献をあたる研究の場合、国をまたいでの移動が出来ず、各地の図書館やアーカイヴの利用に制限がかかると、研究の遂行が非常に困難になります。

私の研究内容の一つに、16世紀ヴェネツィアの音楽出版事情というトピックがありますが、計画されていた現地の資料調査はずっと延期されたままになっています。

加えて、現在は多くの学会がオンラインで開催されていますが、フィードバックを得たりや情報を共有したりできる「些細な人と人とのコンタクト」が圧倒的になく、オンラインで全てをマネッジすることの限界を感じます。

このように、研究者にとっても、現在の状況は決して普段通り、というわけではありません。

個人的な作業だと思っていた研究というものも、多くの人との「接触」に下支えされているものだと、現在の状況は再認識させてくれました。

曇天の下、マスクから漏れる呼気によって曇った眼鏡から見える世界のように、見通しの立たない生活が続いています。

 

<現代と異なる記譜法で書かれた1600年頃の写本(左)と15世紀の写本(右)>

 

 

それでも、今自分がやれる努力をする、ということに変わりはありません。

利用できるアーカイヴが限られているのであれば、そこにある資料を利用し尽くす。

自助努力で出来る語学の能力を伸ばす。

学校内のリハーサルが認められているのであれば演奏家と共同での読譜(写真)をする、など、出来ることが限られているからこそ、今何が出来るか? と深く考えて自らの勉学を計画するようになりました。

そうすると、意外と出来ることがあるもので、この難しい状況が続く中、私の生活は少しずつ彩りと充実を取り戻しつつあります。

この靄を抜けた先に、さらにレベルアップした自分がいるように、今後とも今出来る努力を続けていきたいです。

 

<博士の初回ミーティング(オンライン)>