ならの小川・渉渓園
数々の神事・祭事の場となる、清流と庭園。
 

朱塗りの巨大な一ノ鳥居をくぐると、参道の両側には芝生の広場が広がります。
この広場は日頃市民の憩いの場として、また5月5日には京都市登録無形民俗文化財の「競馬会神事」(くらべうまえじんじ)の馬場にも使われます。
また、参道の東側にはかつて斎王(さいおう、皇族から選ばれた未婚の女性で神に身を捧げた)が愛でたと伝えられる「斎王桜」や、枝垂れ桜をはじめとする数々の桜が世代を超えて植え継がれています。
参道を北側へと進むうちに東側の広場へ立ち寄ると、広場のちょうど北側から東側にかけて、小川が流れていることに気づきます。
北側には神事に使う祭器(祭りに使う器具)を洗い清めた「御物忌川」(おものいがわ)と、人を清める役割を果たしている「御手洗川」(みたらしがわ)があり、これらは本殿を東西両側から挟むように流れています。
2本の小川は橋殿付近で合流し、「ならの小川」と呼ばれて広場の東側から境内の外へと注ぎ、やがて明神川と名を変えます。
ならの小川は流域の摂社「奈良社」や、傍らに楢の木があったことなどがその名の由来で、小倉百人一首の藤原家隆(1158〜1237年)が詠んだ歌には、公家たちが人形(ひとがた)の紙を川に投げ入れ、罪や穢れを祓い清めた「夏越祓式」(なごしはらえしき)の情景に登場します。
この家隆の歌碑は現在、ならの小川の西岸に立っています。
また、奈良社の北側には平安時代末期の様式を真似て造られた庭園「渉渓園」(しょうけいえん)があります。
この庭園では、平安装束に身を包んだ東西一流の歌人たちが川に杯を流しながら和歌を詠む、「賀茂曲水宴」(かもきょくすいのえん)などの祭事が行われます。

   
一ノ鳥居
一ノ鳥居
ならの小川
ならの小川
渉渓園
渉渓園
斎王桜   夏越祓式   賀茂曲水宴
斎王桜   夏越祓式   賀茂曲水宴
 
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