RMFレポート インタビュー

阪哲朗さんにインタビューをしてきました!

インタビュー

[ 2013.10.28 ]

2013年10月5日に京都コンサートホールで行われた「大阪フィルハーモニー交響楽団 京都特別演奏会」に指揮者として出演された阪哲朗さん(ローム ミュージック ファンデーション1992、1993年度奨学生)にインタビューしてきました!

 

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コンサートのプログラムは、オール・ブラームス・プログラムということで世界的ヴァイオリニストのフランク・ペーター・ツィンマーマンさんをソリストに迎えた「ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77」と「交響曲第1番 ハ短調 作品68」の2曲でした。

コンサートはツィンマーマンさんの華麗な演奏、交響曲第1番の重厚な響きで大盛況のうちに幕を閉じ、その興奮が冷めやまぬ中、阪さんへインタビューをしてきました。

 

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<阪哲朗さんのプロフィール>

阪 哲朗は欧米での客演が数多い。2008/09年年末年始には、ウィーン・フォルクス・オーパーで、同劇場の年間のハイライトとも言うべき公演である「こうもり」を指揮し、大変な話題となった。

スイス・ビール市立歌劇場専属指揮者、ブランデンブルグ歌劇場専属第一指揮者、ベルリン・コーミッシェ・オーパー専属指揮者、アイゼナハ歌劇場(ドイツ・テューリンゲン州)音楽総監督、山形交響楽団首席客演指揮者を歴任。2009/10年シーズンより、レーゲンスブルク歌劇場(ドイツ・バイエルン州)の音楽総監督(GMD)を務める。

 

 

 

 

Q.今日のコンサートはいかがでしたか?
ツィンマーマンさんとは初めての共演でした。

最初の練習の時から、かなり細かく彼とのやりとりがあり、ここは室内楽的なところだからと、時には彼がオケにも直接コンタクトを取りつつ、少ない練習時間の中でもすごく綿密、濃密な練習ができ、この本番の成功につながったと思います。

実は本番で初めて通したんです。今日のゲネプロまでここはこうだ、そこはこうだと止めていたので。
一音一音に対するこだわりがちゃんとあり、オケのサウンドがそれでがらっと変わるぐらい。

 

どうしてもドイツの音楽はこんな感じで、という従来からの日本での形、理想形みたいなものがある。

でもドイツの音楽といってもいつも同じことをやっているわけじゃないし、彼は彼だし、違う人が弾けば違うし、そういう世界的な奏者の生の、鮮度がある演奏に触れることができたことに感謝しています。

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Q.学生時代のお話をお聞きします。京都市立芸術大学に在学されていた時は作曲専修とのことでしたが、もともと作曲家になりたかったのですか?
いえ、最初から指揮者になろうと思って、作曲専修を選択しました。

指揮者を目指すにあたって、楽譜がどう作られているかという角度で勉強するために。

でも若いですから、指揮をしたくてたまらず、合唱団を尋ねたり、文化祭で大河ドラマの曲を自分で編曲して演奏したり、ミュージカルやオペレッタを上演したり、ありとあらゆることををやりました。
そのうち、当時師事していた廣瀬先生にばれてしまったんですね。

作曲やらずに指揮ばっかりやっているな、と(笑)。

先生が指揮専修への転科も考えてくださったんですが、やはり作曲で卒業した方が将来のために良いはずだから、と言っていただき、作曲専修のまま卒業することに。実際、その通りでした。

ウィーンで、最初はドイツ語がちんぷんかんぷんでしたが、音楽の基礎という面では日本でやった通りでしたし。

 

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1993年、奨学生当時の写真。

 

Q.チェロや声楽等様々なことを学ばれていたようですが?

もちろん興味もあったのですが、 副科でやる必要があったんです。

チェロは上村昇先生に3年間、声楽は2年習いました。

親には音楽家になることに反対はされませんでしたが、ピアノの先生には猛反対されました。

そこで絶対教職を取らないとダメ、と言われそのために副科を取る必要がありました。

 

Q.ウィーンでの思い出は?
色々な思い出だらけですね。実は入学試験に遅刻したんです。(笑)

9:00から始まる試験なのに、前日の夜に海外の強い風邪薬を飲んで寝て、起きたら8:45。

急いで外に飛び出たのはいいのですが、タクシーをつかまえようにも手を挙げても止まってくれないのです。

 

後から聞くとタクシーは、タクシースタンドから乗るか電話で前もって予約しなければいけなかったらしいんですが、携帯なんて無い時代なので後の祭り。

それでも何とかタクシーをつかまえて会場に着いたのが、9:10。

聴音の試験が始まっており、試験官から「遅刻!来年また受けなさい」と言われ、せっかく日本から来たので・・・としどろもどろに話しましたが断れてしまいました。

仕方なく指揮科の先生であった湯浅勇治先生の研究室に行こうとしてるとちょうど階段を下りてくる湯浅先生に出会い、何とか湯浅先生からお願いをしてもらい、ダメ元でいいからと試験を受けることにさせてもらいました。

 

ただ、席に着いた時には最後の問題である4声体聴音の、それも最後の2、3回目の演奏でした。

後で聞いたところによると、この最後の問題が一番難しかったらしく、それを2、3回聴いただけで正解できたということで、その前の数問は問題ないだろう、という大学側の判断で入学できました。

もしここで入学出来なかったら、おそらく指揮者になれていなかったでしょうね。

 

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Q.日本で学ぶこと、ウィーンで学ぶことの違いはどうでしたか?
初めに驚いたのは、「ここにもモーツァルトがいる」ということでした。

日本ではモーツァルトはこう、ベートーヴェンはこう、と先生が仰るものだった。

ウィーンでは「どうやら別のモーツァルトがいるな」と感じました。

それはいて当然なんですよね、アメリカにはアメリカのドイツにはドイツの。ドイツとオーストリアでも違うんですよね。

こんなに違うものなのかと。頭で学ぶと言うより、身体で。朝から晩まで学校で、オペラで、コンサート会場で、とにかく身体にウィーンの音楽を取り込むことに必死でした。

 

Q.指揮法で何か違うことはありましたか?

僕はほとんど日本では自己流でしたね。

指揮法というよりは音楽の語法。音楽の演奏って朗読にも例えられるかもしれません。

ともに台本や楽譜はいじれませんし、二次元のものを三次元にするとか色々な言い方はあるかと思うんです。

話し手によって大事にしたい所が違ったり、こだわりですよね、ゆっくりしゃべったり早くしゃべったり強調したり、間を取ったりして表現する、 そういうことだと思うんですよ。

 

指揮科には指揮者養成用のオーケストラがあり、実際に指揮をさせてもらえるんですね。
ウィーン国立音大の教授であったライナー・キュッヒルさん(ウィーンフィルハーモニー管弦楽団コンサートマスター)が指揮科の授業でウィンナ・ワルツをやってる時に、ゲストコンサートマスターとして参加してくれたりしました。

「我々は普段こうしてるけど?」、弾くのをやめて「ほら、ここ聴いて」とかアドバイスをもらいました。

あの方、たまに日本語で仰るんですよね(笑)。

ウィーンの凄いところは、どの楽器の先生もウィーンフィルに代表されるような同じ語法、音楽のフレーズ感の方達なので、指導の仕方や言葉はたとえ違ったとしても最終的には一つのことに集約される。

だから指揮も形がどうこうではなくて、どういうふうになれば良いか、鳴ってる音楽がどうあるべきかをいつも考えていました。

 

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Q.現在、主に海外での活動、特に音楽監督を務めていらっしゃるレーゲンスブルク歌劇場での活動が多いようですが。
レーゲンスブルクの劇場は、2009年からですから最初3年の契約を2年延長して今5年目。

また1年延長したから6年ですね。

 

劇場に一度行ってしまうと、楽譜を読んでいる時間がほとんど無いですね。

仕事の6割方は音楽以外、例えばオーケストラや歌手たちの休暇の調整や管理、プログラムなどの編成会議、歌手やオケの欠員のオーディション、時には市長さんと予算の摂政もしなければいけませんから。

人事権を持たされていますしね。

 

簡単にいうとGMDは皆を音楽に集中できるようにしていなくてはいけない、ということに尽きると思います。

あれだけの人数が集まっていると身内に不幸があったり、家庭内のもめごとがあったり、子供が怪我をしたとか、時には恋愛相談まで、様々のことがありますが、毎日同じメンバーと顔を突き合わせ信頼関係を築き、そうした家族的な環境の中で、音楽的レヴェルにおいてはたとえベルリンフィルに遠く及ばないにしても彼らの潜在能力を発揮させること、そして教育していくこと、これが大事なことだと考えています。

最初がバラバラという意味ではここのオーケストラは日本のオーケストラに比べてずっと下手ですね。みんな好き放題の方向に走ろうとしますから。最初がバラバラでも徐々に皆が行こうとする方向を一つにまとめていく、手作業でアナログ的に作り上
げるという感じ。最初から合ってる、はみ出ない日本とは180度違います。

これは良く言うと、最初はやりたいことがいっぱいあるんですよ。合わせることなんて二の次みたいに。

海外で出来て日本で出来ない、日本で簡単に出来るのに海外で出来ないとかがあって、本当に面白い。

 

Q.今後の活動について、やりたいことなどありますか?
実は国立音大の大学院のオペラを振ることになっています。

先ほど音楽は朗読に近いと言いましたが「どのように読むか」ということを大学とかで教えること。

教育を語るにはまだ早い自分の年齢かもしれませんが、そういった方面にすごく興味があります。

モノの考え方、教育を少しずつでも変えないと音符が記号から抜け出せないし、何も変わらないと思うんですよ。
みんな弾けるけど、ところで何を表現するんだっけとか、合ってるのに今さら何で練習しなきゃいけないんだとか。

パシッと合ったとしても、合うこと、合わせることが目的になってしまうとずれた時に何も残らない。

こう表現したい、ああ表現したいは多少失敗してもああしたかったんだよね残念、というのは何かが残るし、ゼロではない。そこに違いがある。

そうでないと今日のコンチェルトの後みたいな顔にならない。(笑)

 

どうしても日本では型にはめられてしまって、学生は先生がこうしなさいと言われる通りに何も考えずに演奏してしまうしできてしまう。今後、今まで経験したことを若い人たちの指導に活かしていきたいですね。

 

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Q.これから音楽家を目指す方、ローム ミュージック ファンデーション奨学生を目指す方々へアドバイスを。
最近、昔とは時代が違うせいか若い人があまり外に出たがらないって聞きます。

インターネットとかテレビで全部知れて、わかっちゃって、家にいながらドイツはこうで、砂漠はこうでて、リアルな画像で見ることさえ出来る。でも体感する事って見るだけとは全然違うと思うんですよ。

例えば、ドイツの冬がどれだけ暗いかを見に行くだけでも違う。ドイツの冬はずっと雲に覆われて暗い。

緯度の関係もあって午前8時頃でもまだ暗くて4時前にはもう日暮れ。

そんなに暗いと目が使い物にならずに耳、だからこそ音楽が発展したのかと思わせるほどですから。その分厚い雲に覆われていた冬も2月もう後半になると、突風と共にさっと雲一つない青空が広がるときがあります。

まだ氷点下くらい寒いんだけど、これが春の兆しで間もなく春なんだと気づかせてくれます。
そして4月や5月には一気に本当の春がやって来る。

今日から春って分かるほどはっきりと。バッと芽吹く、その緑の美しさと言ったら・・・。

これも体験しないとその美しさ、ありがたさが分からない気がします。
日本は冬でも太陽がちゃんと出てて、たまに帰るとまぶしくてびっくりしてしまいます。
特にドイツ・リートなんかで冬の厳しさや春の喜びを歌ったものが多いんだけど、日本の学生さんたちもその辺の解釈、というより人生観までが変って来るんじゃないかと思います。

ヨーロッパに限らず、自分の感覚でものを知る、体感するということは本当に大事だと思います。

 

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とても気さくな方で和やかにインタビューが終わりました。
終演後に多くの方が楽屋にいらっしゃり、阪さんの人柄の良さを感じさせるシーンでした。
これからのご活躍をお祈りしています。

 

<阪哲朗さんの今後のスケジュール>
■2014年 1/11(土)18:00 横浜みなとみらいホール
日本フィル 第294回 横浜定期演奏会
■2014年 1月/12(日)14:30 東京芸術劇場コンサートホール
日本フィル ニューイヤーコンサート第208回サンデーコンサート